大福寺はもと厚狭鴨社の社坊で
『神護庵』と言い
真言密寺の寺であった。
鴨社は同大二年(807)に
厚狭の沓に開創され
建久七年(1196)河東に移され、
江戸初期万治二年(1659)に
現在の真樹山に移鎮した頃分鎮して
『九品山華迎院大福寺
(くぼんざんけこういんだいふくじ)』
と改称し
宗派も浄土宗に改められた。
今寺内の観音堂に奉安されている
如意輪観世音菩薩像は
真言宗神護庵時代の本尊仏である。
寛永八年(1631)宍戸丹後守が
その室(法名 清和妙澄大姉)
の菩提を弔うため
神護庵の旧地たる現在地に
一寺を建立し
休誉心哲上人を迎え開山とした。
現在の本堂は
第十九世実誉貫声上人代に
すでに腐朽がひどく
もはや使用に堪え得ぬまでに
なっていた藁茸の旧本堂を
改築し
昭和四年三月に完成。
昭和十一年、第二十世探玄上人代に
国道2号線の建設により
町通りから山門に通ずる参拝路
(馬場と呼ばれる長さ40余間の寺有地)
と境内地が分断され、
山門並びに境内区画は後退、
さらにその国道が
美祢線と立体交差のために
そのレベルが高くされたり
本来町通りから建立されていた
『九品山大福寺』と刻する石柱も
山門横に移建され
住古の香煙ただよう
静かな境内の趣は消えていった。
(『大福寺史』より抜粋)
しかし時代の流れとともに迎えた
現代の車社会において
この2号線からが参詣者の
大きな助けとなっている。
第二十一世鏡誉大円上人は、
厚狭公民館長、
山陽町社会教育課長を経て
昭和四十三年~五十九年まで
第四代山陽町長の任に就き
僧職者として地域社会との関わりを
深めていった。
平成三年三月往生。
その後行誉大聖が
第二十二世の法灯を継ぎ
今日に至る。
合掌
(行誉大聖執筆)